実物の方が?


月初めにも告知いたしましたが、今月いっぱい、京都は寺町通りにある「ガクブチのヤマモト」さんのショーウィンドウにて、作品を5点飾っていただいております。

残り一週間となりましたので、もう一度案内させていただきますね。

作品の方は、お蔵入り中の蔵から引っ張り出した古いものから、描き上げたばかりの最新作までございます。

一部は5月30日からの個展(@大丸京都店)でも見ていただけますが、それまでに何かの拍子で(?)ひょっこり売れちゃったりしたら、それっきりです。 

ということで、近くを通られるついでなどございましたら、チラリと覗いてやって下さいませ〜!


…などといったことを書きながら、「控え目なわたし(?)にしては、「覗いてやって下さい」とは大胆な…」と。

これ、買ってほしさのあまりに言っているんじゃないんですよ。(たぶん)

そうではなくて、「実物の方がここでときどき見ていただく写真よりずっといいんだから…」といった感じの方が近いでしょう。 「この程度じゃないんだから、ぜひとも本当の実力を知ってほしい!」と。

でもですねぇ、これはあくまで描いた側の言い分な訳ですよ。 

描き手からすると、写真の方がいいという例はいまだかつてない訳でして、いつも案内状などの写真を見るとへこみます。 ものすご〜く。(涙)

しかし、「写真の方が良かった!」って思う人、いてもおかしくない訳ですよ。 好みは様々なんですから…。


それでもあえて「本物を!」と願うのは、「本物を見てがっかりされたのならあきらめがつく」といったところかもしれませんね。 

そう思われちゃったら救いはないんですが、写真だけ見て誤解されたまま好かれているのも、なんだかイビツな感じがいたしますので、いさぎよくね!


…と、そういえばこの『準備室』を先に読んでくれていた人は、実際にわたしと会って話すと、「実物と違う」という印象を抱くそうで。

今のところ+と−が半々なので傾向は読めませんが、書いた本人でも何がどう読まれ、それがどう思われているかまでは分からず…。(汗)

でも、「誤解が多いなぁ」とはよく感じさせられます。 もちろん、伝える力が弱いせいですが!(汗)


今日もお訪ね下さり、ありがとうございます。    曽根 拝



白い悪魔。


絵を描く下地には、キャンバスと呼ばれる布を使います。

より使いやすくするために、そこへさらに白色塗料を重ねていく訳ですが、これがけっこう大変です。 広い面積を平滑に仕上げていく訳ですから、神経を使うんですよ。 

しかし同時に、広いがゆえに作業の規模も大きくなり、あちこちに塗料が飛んだりもします。 

ですが、乾燥時間が短いこともあって、ついついその処理は後回しになる訳でして…。(汗)


同じようにして、作業着にもいつの間にかついてしまいます。 気付いて「あっ!」っと思っても、優先順位は遺憾ながら二番目となるので、作業が終わってはじめて処置ができるのですが、たいてい時すでに遅しでして…。(涙)

それに、床にボタッと落ちても、しばらくはほったらかしにせざるを得ません。 すると、ついその存在を忘れ、気が付くと靴下の裏に白い斑点が。 

もちろん、歩いた後にも点々と…。(汗)

こんな感じで、床(シートが敷いてあることにしましょう! 汗)、服、乾燥台に使っている畳んだ布団などが、どんどん白く汚れていきます。 いけませんねぇ〜。


いえね、いかに乾燥が早いとはいえ、作業後すぐに手を打てば間にあうんですよ。 でも、「どうせまた汚れるんだから…」と手を抜いたが最後、歯止めが効かなくなり、グダグダになってしまった訳です。

ズボラ人間の面目躍如といったところでしょうか? 絵を見た人からはよく「神経質な人だ」と思われちゃうんですが、この話を聞いてもまだ??(笑)


さてそんなわたくし、先日もまた下地塗りをしておりました。 

大きな画面を塗り終わり、畳んだ布団の上に置こうとしたところ…。 カサカサッと、何かに触れました。 そこにあったものは…。

スーツ、スーツですよっ! 使ったままで置いてあった一張羅のスーツ(高い)に、あろうことか白い塗料が!!

漫画とかなら、目が円錐形になって飛び出すところでしょうか?! 画面にキズが入ったことなどはうっちゃり、猛スピードで塗料を拭き取って、なんとか事なきを得ました。  ふぅ〜〜。


…でもそうか。 そのままにしておいて、個展会場でネタにしても良かったのか! 「芸の道というのはかくも厳しいものなんですよ…」などとうそぶいて?? 

ついでに神経質なんだかズボラなんだかもよく分からなくなり、ミステリアスな雰囲気も漂っちゃうかもしれないし〜♪(笑)


毎度のお訪ね、ありがとうございました。         曽根 拝


なごみ雪。


冷えるだけ冷えて、この冬の京都にはまだ雪がしっかり積もったことは
ありませんでした。

それが昨晩になっていきなり大雪となり、今日は待ちに待った雪景色!
さっそく取材に出かけます…。


「この日」に備えて、見たい景色はいくつもリストアップしてありました。 

それを順に訪ねていく訳ですが、その道すがら、いたるところで
雪ダルマさんを見かけます。  やはり定番なんですね〜。


しかし、定番であるがゆえに、普通のモノにはもう目が行きません。

たとえば、ただ大きいだけの‘雪のかたまり’なんて、せいぜい努力賞
どまり。 やはり、第三者の目をも楽しませてこそ、真の雪ダルマと言う
ことができるでしょう!(?)

ということで、わたしの目にとまったダルマさんたちを並べてみます。



まずはこちら。 顔が丸でないせいでしょうか、定番のものとは違った
表情が出ており、なんだかほのぼのしております。

帽子のボンボンがこれまたいい感じ〜。



これは、喫茶スペースを併設したパン屋さんの前にあったもの。 

後ろの兄さんのボタンはレモン。 手前の子の目やボタンには、なんと
コーヒー豆が使ってあるんですよ。 

何気に散っている落ち葉も、おそらくは意図的に配されたもの。 

二人の作り分け具合いといい、おぬしなかなかやるな!(笑)



この子たちも同じ店にありました。 こちらは素朴ではありますが、
表情が愛くるしいです〜!

後ろの子、葉っぱでできた唇から何か語りかけてきそうですよね?

前の子も、への字口とピシッと伸ばした腕がいい感じ。 心のきれいな
お子様なら、この写真だけで面白い物語を作れそうな…?(笑)



こちらは、小さいながらも凝った作りです。 センスいいですねぇ〜。
きっと素敵な女性が作ったに違いありません!(?)

近くに野郎が作ったと思しき大きいだけの‘雪のかたまり’が転がって
ましたが…  同じ雪ダルマであっても、これだけの差が出てしまうん
ですねぇ。

かく言うわたしも、少年時代には無暗にでかいのを作って喜んでいた
クチですが…。(汗)


さて、最後はこちら。 

実は、すぐ横に立派なダルマさんがあり、そちらを見ようとして近づいた
時、カチッと目が合ってはじめてその存在に気付いたのでした。

それまでは、ただの除雪された雪なんだろうと…。(汗)



さて、これは何でしょうか?  雪うさぎ?? 

実はわたくし、とっさに龍を連想しちゃったんですよ。 今年の干支の。

顔が長いし、上にでっぱってるのは耳ではなく角? 鼻先に付けられた
葉っぱもなんだか龍のヒゲ的で…。

いったいどっちなんでしょうね〜?  干支ではとなりどうしだから、
「ウサリュウ」とでもしておきましょうか?!(笑)


こんな感じに、街のあちこちでなごまされた一日でした。 

それにしても、即興でカワイイのを作り出せるセンス、とてもうらやましく
思われますよ。

わたくしこういう能力に恵まれておらず、急に作ることになったなら、
「ウサリュウ」ですら作れたかどうか…。(汗)


いつもお訪ね下さり、ありがとうございます。         曽根 拝


人がゴミのようだ!(笑)


ケガや病気の時には、その場所がピンポイントで痛みます。

これは、その場所に注意を向かわせることで、治療行為を促すという
理由もあるんだとか。

ですから、時として過剰すぎる痛みに閉口することもありますが、
まあ、回復に集中するためには必要なんでしょう。


では、心が疲れた時はどうでしょうか?

悩みごとなどが降りかかると、やはりそちらの方に注意が向いてしまい、
心を占拠されてしまいますよね? 

ちょうど、歯が痛むと世界のほとんどが歯痛で埋められてしまうように、
常にそのことが頭をグルグルし、生活全体のトーンを下げてしまいます。

ま、楽観的な人には分からないんでしょうがねぇ〜。(笑)


そんな場合には、なるべく視野を広くすればいいと言います。 

悩みを解決するべくギューッと問題に集中してしまっている思考を、
コリをほぐすように分散させるのです。 

そうすると、自らを客観視する余裕も出てきて、何らかの解決策が
見つかることもあるとかないとか…。


近所の大文字山に登りました。 冬枯れた森の取材です。

この山、ほんの数十分で京都市街をグーッと見下ろすことができるので、
気分転換にも有効!  こんな感じです…。



わたしの場合、ただ単に見晴らしが良くてスカッとするというだけでは
なく、家も人もまるでチリのように小さく見えるところがいいようです。

そう、ふだん悩みにまみれて(?)生きている自分を、この風景の中に
ちょこんと置いてみると、悩み自体も小さくなって見えないような気分に
なれるんです。 まさに視野が広くなる!(笑)


これと同じように好きなのが、新幹線の車窓からの風景。

時速300キロですっ飛ばす窓からは、沿線の家々も、それこそ瞬く間に
流れ去っていきます。

その各々に人間が住み、彼らもやはりこまごまとした悩みごとを抱えて
いるはずなのですが、それらを想像する前に視界から消えちゃいます!


こうした山上、あるいは車窓からの「目線」を日常でも思い起こすことが
できたなら、生活はずっと楽になるんでしょうねぇ。

あいにく、悩みに意識を引っ張られ過ぎている時には、思い起こすこと
自体を忘れちゃうんですが…。(涙)


市内中心部を見ていたら、なんだか抽象的な文様のように見えて
きましたよ。



ここに写っている範囲だけでも、数万人の喜怒哀楽が渦巻いている
はずなんですが、そんなものはどこか別の世界の話のよう。

遠くに見下ろして、すがすがしい気分で下山しました〜♪


…あ、とくに悩みごとを抱えている訳ではありませんので、ご心配なく!

ただ、締め切りってのは、視点を変えたところで消えてなくなるものでは
ありませんねぇ〜。(涙)


今日も読んでくれてありがとう。              曽根 拝


今日は何の日?


朝、目が覚めてモソモソしていると、ピンポ〜ン♪ 「宅配便で〜す!」

「おおっ! 来た!!」

急いで扉を開けますと、そこには両手で持つほどの大きな荷物が。

「えっ? こんなに大きいの?! 弱ったなぁ〜。(ニヤニヤ)」


さっそく差出人を確認してみますと…  そこには画商さんの名前。 

「あぁ、そういえば賞味期限の切れた作品を回収することになって
たんだ…。」

“ぬか喜び”とは、こういうことを言うんでしょうねぇ。(涙)


夜、晩御飯を買いに食料品店へ。

すると、ハート形をしたポテトやら、容器がハート形のちらし寿司やら、
なんだかよく分からないモノがたくさん並んでおります。

そんな有り様に辟易したので、店を変えます。 すると、次の店にも
ハート形コロッケやハート形ステーキが…。

どうなってるんでしょう? この日のためにこんな容器や型をわざわざ
用意したってことでしょうか??

これで売り上げ増が見込めるとも思えませんが…。(汗)


それ以前に、こんなチョコ以外の「ハート系」食料を、いったい誰が
どんな目的で買っていくの?

女子学生がお目当ての男子を呼び出して、「わたしの気持ちですっ!」
とか言ってハート形のちらし寿司を渡す?!  

「本命」には使わない方がいいね!(笑)


ああ、そうか。 節約志向のオカーチャンが買うのか。 

義理ではあれ(?)、旦那や息子にチョコを渡しておかねばならない
ところを、こうしておかずなどで代用してしまえば、余分なチョコ代を
節約できますから!(笑)

でもそうなると、店の側としてはむしろ売り上げ減では? 

やはり謎の商品と言うしかありませぬ…。 


以上、他愛のない話でありました。

あ、毎年言っておりますが、2月いっぱいは絶賛受付中ですので、
どうぞ遠慮なさらずに。

もちろんコロッケでもお寿司でもオッケーです〜!(笑)


おバカな話にお付き合い下さり、どうもありがとう。    曽根 拝


省エネ思考。


【五月の展覧会が近づいてまいりました。 これまで隔日で投稿しておりましたが、今後しばらく変則的になるかと思われます。 ご了承くださいませ… 】


数日前、夜空の満月を見上げ、「あの模様がウサギのもちつき? 
もっと別のものに見える気もするけど、いったい何だろう…?」

すると今日、スーパーにあった塾のチラシに、まさにその解答例が
掲載されておりました。 「こういうこと」って、あるものですねぇ〜?



世界各地での「見立て」を並べたものですよ。 

内容は、1:ウサギのもちつき 2:読書するおばあさん 3:カニ 
4:バケツを運ぶ少女 5:女性の横顔 6:バケツを運ぶ男女 だとか。


さて、この月の文様の場合、正解というものは存在しません。 

しかし人ってのは、「なんだかよく分からないもの」に意味を与え
たがるという点で、よく似ているんですねぇ〜。

実際、日常生活においても「なんだかよく分からないもの・人」などを
良しとせず、自分なりの意味づけ・レッテル貼りをしてしまうことがよく
あります。

気になってる異性を街で偶然見かけた場合、宗教を信じている人
なら神様のおぼし召し、スピリチュアルな人(?)なら運命、数学者
なら確率をそこに見出すことでしょう…。


このような「世の中を見るための基準・軸」を備えるのは、人が楽に
生きるための工夫だと言います。

だって、どうとでも取れる出来事に直面した時、あらゆる角度から
すべての可能性をいちいち検討していては、脳はすぐにパンクして
しまいますから!(笑)

という訳で、宗教も科学も人生訓も陰謀論(?)も、すべてが世の中を
さっぱりと解釈するための工夫なんですねぇ〜。


ただ実際、月の文様なんてどう見えようが、人生にはまったく関係の
ないことでしょう。

ですが、さまざまな見立て方を見ていると、人は省エネに努力するもの
だという共通性と、その解決法に文化差が現れることとが同時に見て
とれる例として、個人的になかなか面白く感じられます。

あ… 説明を付して安心しようとしてる! これもやっぱり省エネ思考の
現れでしょうか?!(笑)

 
忘れずにお訪ね下さり、ありがとうございます。     曽根 拝

※ 図は「ユメタス北白川」のチラシの一部を改変・転載


静物と無静物のあいだ。


物語性のある、静物画か人物画を1枚――  そんな依頼が来ました。 

ふだんは風景画しか描いていないのですが、依頼主が信頼のおける
画商さんだったことと、なにより面白そうなので、即オッケー。

しかし…。

いざ描こうとしてみると、途方にくれます。 どうしましょ??(汗)


まず、人物画ってのは、時間がないのとモデルさんのアテがないこと
から、あっさりパス。

となると静物画ですが、我が家には貧相なものしかなく、とても絵に
なるようには思えず…。(汗)

そこで思いつくのが、「ふだん描きなれた風景を描きつつ、それを静物
だと言い張る」という方法。 奥の手ですね。


さて、ここで登場するのが屁理屈。 まずは、静物と風景との境目を
曖昧にしてしまいます。

たとえば、ミカンをテーブルに並べて描けば、まがうかたなき静物画。

でも、木になっている状態で描いたら風景?  あるいは、自然に
ポロリと落ちた実を描いたなら??

境界がちょっとビミョーになってきました。

こうなると、両者の違いが生じるのは屋内・外の差があるため? 
もしくは‘自然さ’のあるなし??

前者に関しては、屋外のテーブルに並べたミカンをどちらとしたものか? 

後者については、そもそも庭にミカンが生えていること自体が不自然
とも言えましょう。


…とまあ、ごちゃごちゃ書きましたものの、「配置をコントロールできる
ものが静物」としておけばいいでしょうか。

「あれれ? 詭弁を弄して風景を静物だと言いくるめるつもりだったん
じゃないの?!」

…いえいえ、大丈夫!

そもそもわたしの描く「風景」ってものが、雲は取り換えるわ、地形は
削ったり・盛ったりするわ、道の舗装は引っ剥がすわ、近代建築は
消し飛ばすわと、コントロールだらけ。 つまり静物!(笑)

ですから、こう定義する方へ持って行きさえすれば、ほぼオッケー??


でもやっぱり、いつものやつを持っていけば、理屈をこねる前に
即刻バツなんだろうなぁ〜。 

そのうえ、「物語性」というシバリまである…。(汗)

まあ、物語なんてのは、それこそ屁理屈でなんとでも付けられるん
でしょうがね。

なんなら、田んぼの絵で30分ほど語ってみせましょうか??(笑〜)  


作品の方は、四月に京都で発表です。  乞う、ご期待?!


本日もお訪ね下さり、どうもありがとうございます。     曽根 拝


偽善?


「応援消費」という言葉があるようで。

マイナーな商品であっても、作り手の方針に共感した人たちが
定期的に購入したり、使う以上の数を求め、買い支えるといった
行動のようです。

わたしもちょっとマネしてみましたよ。 お取り寄せでこんなものを…。



キズものなんですが、リンゴのフジです。 

いや、有名な有機栽培の「あれ」ではありませんよ! そんなものは
高くてとても手が届きませんし、だいいちわたしなんぞが応援せずとも、
既に全国にファンはごまんといる訳でして…。(汗)

産地は、農家の方たちがいま辛い目にあっているあの県です。 

一部の残念な学者やジャーナリストたちが、風評被害を全力で拡散中
なのが忌々しく思え、微力ながら対抗手段をとりたいと思いまして。


届いたリンゴは、スーパーで見るものよりもずっと大きく、普段食べて
いたフジはいったい何だったのかと…。 品種の差??(汗)

もちろん、味の方も素晴らしいです〜♪ 


さて、わたしは基本的に利己主義者です。 というよりも、世の中に
純粋に利他的な行動なんて存在しないと思っております。

困っている人に手を差し伸べる。 それがあきらかに自分の損に
なる場合であれ、その行為が(無意識でも)気持ち良くてやっている
限りは利己的。 

この場合、利他性はおまけであり、外からの評価にすぎないのでは?

ただ、そうして利己も利他も同時に達成できるのなら、自分の快を
優先的に考えての行動であったにせよ、なにも問題はないだろうと
開き直っています。

むしろ、自分の気持ち良さだけをバリバリむさぼり、それに気づかぬ
まま「人のため」に「正しい」言動を押し売っているような先に書いた
‘善意の人’たちよりは、よほど健全ではないのかな…?


リンゴがはやばやと届き、しかもおいしかったのでお礼のメールを
送ってみます。 もちろん、自と他、双方の気持ち良さのために!

するとすぐさま返事が届き、丁重なお礼が。 

その中で、「フジはこの時期、蜜成分をどんどん取り崩してしまう
(ミソリンゴと言うらしい)ので、もう少し前ならもっとおいしかったん
ですが…」と。

なるほど。 では、今年の秋は収穫と同時に注文することにいたし
ましょう! あ、その前に桃なんかも食べてみたいなぁ〜。

ものはおいしいし、販売元さんもこの状況下で売れて困ることなど
ないはずですから、人に対しても悪いことではありません。

よって、こちらの満足度もひとしおです!(笑)

みなさんも、いいことずくめの応援消費、いかがですか〜?


いつもお訪ね下さり、ありがとうございます。         曽根 拝


鬼の属性。


一昨日が節分だったということで、鬼に関係したお話をば…。


友人から胡桃(クルミ)をいただきました。 

ただ、おいしい食べ方がいまいちよく分からなかったため、しばらく
部屋に飾ってありました。



とはいえ生ものですから、いつまでもそうしておく訳にはまいりません。
 
そこで、大勢の人に会う機会があったため、誰かがほしがるのでは
ないかと、一部を持って行ってみます。 すると…。

物知りな方がチラリと一瞥するや、「これは鬼胡桃だ」

ほー、そんな物騒な名前が。 そこで尋ねます。 「鬼って言うからには、
ほかのものより大きいんですか?」

「…いや、小さい」

関西人なら、ここでズッコケて見せるところでしょうか??(笑)


しかし、オニヤンマとかオニグモなどのように、鬼といったら大きいものを
想像しますよねぇ?  いったいなんで鬼なんて名前が??

そこで帰ってあれこれ調べますと、どうやらその殻が凸凹しており、
しかもやたら固いことからその名が付けられたんだとか。 

鬼の顔や、荒々しい気性をイメージしたんでしょうねぇ。


ただ、ちょっと引っかかることが。

わたくし、筆より重いものは持ったことがない非力な人間ですが(?)、
二つ手に持ってギシギシッとやったところ、カッパリと殻が割れちゃったん
ですよ。 この程度で「鬼のよう」? なんかヘンです。

そこで画像検索をしてみると、どうも上に示した「鬼胡桃」、別の種類
らしいんですよ。 なんでも「カシグルミ」というそうで。

実際、オニグルミってのを見てみると、もっと色黒で、さらに凸凹して
おりました。 うん、こっちの方が鬼っぽい!


それにしても、中国伝来の「龍」同様、鬼ってのは実在しないにも
かかわらず、ずいぶんとそのイメージが共有されてますよねぇ?
面白い現象です。


ところで、知人の間違いをネタにしてこんな文章を書くわたくしって、
まるで鬼のようなやつ??(汗) 

「鬼は〜外!」 ということで、本日はここで退場いたします。(笑)


いつもお訪ね下さり、どうもありがとう。            曽根 拝


手抜き文化?


取材でふらふらしていると、往々にしてヘンなものに行き当たります。

‘発見能力’が活性化しているせいでしょうか??

今回はこんなものを。 ちょうど横断歩道がある場所を工事したらしく、
アスファルトで埋め戻したそのあとに…。



欠けてしまった白線を、スプレーで再生しようとしてます。 右下から
始めたのでしょう。

ところが、三本目からは急に荒っぽくなって、斜線をシャシャッと引いて
ハイ終わり!  露骨に手間を惜しんでおります。(笑)

いったい何があったんでしょうねぇ? 

1:几帳面な作業員さんが丁寧に塗りつぶしていたところ、雑な監督が
「コラッ、何をチマチマやっとるか!」

2:きっちり塗り切ろうと思ったものの、途中でスプレーの残量が
心もとなくなり、やむなく応急処置

3:ちゃんと塗るつもりだったものの、折からの寒さもあり、「それだと
分かればいいじゃん!」

よく見ると、白く塗り切った最初の二本にも、うっすらと下描きの斜線が
見えております。 となると、やはり1か3の手抜き系??


話はヒョイッと飛びまして、例によって縄文土器の話。

約1万6千年前に誕生した縄文土器は、その後どんどん完成度、
装飾性を増し、約5千年前にピークを迎えます。 有名な火焔土器が
作られたころですよ。

これらのごちゃごちゃした土器も、基本的には通常の煮炊き用
だったと考えられています。

ところが、ピークを過ぎて数百年、装飾にはあまりこだわらない
「割り切った」土器が出現します。 「煮炊きに使うだけなんだから、
飾りなんて文字通り“飾り”でいいんじゃないの?」

以降、飾る土器と飾らない土器が作り分けられるようになりました…。


現代を生きる我々は、隙あらば手を抜こう、楽に済ませようなどと
考えております。 それは多分、文化のたまもの。 

親や周りの大人たちが、「仕上がりに大差がないなら、楽に済ませた
方がいい」という価値観を持ち、実行していたため、その考え方を
さも当たり前のように受け継いできた――   そんなところでは??

「…おいおい、手抜きは人に備わった自然な傾向だろ?!」

たしかにそうかもしれません。 しかし、縄文人はそんな‘簡単なこと’を
実行するまでに数千年間を要しました。 脳の容量は現代人とほぼ同じ
だったにもかかわらず。

ということは、これまた「土器は立派に装飾するもの!」という“文化”の
なせる技だったのではないでしょうか?

そう、手を抜く人間が周りに誰もいなければ、その暗黙の圧力に押し
つぶされ、‘自然な傾向’を発揮することさえできない…。


「手抜きをする」という当たり前に思える行為でも、それを最初に
実行する人間にとっては、コロンブスの卵的発想の転換と、清水の
舞台から飛び降りる程の勇気が必要だったのでは…?

きっちり言い切るには考古学、人類学、心理学などを結集して論証
するべきなのかもしれませんが、あいにくわたしは「手抜き文化圏」に
生きる人間。

テキトーなことを思い付きで言い、そのまま消えてしまうのです〜!(笑)


本日もお読み下さり、誠にありがとうございます。       曽根 拝


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